あっ、この人わたしのこときらいだろうな、と感じたときにまっさきにうかぶのは「わかる」で、だから、きっと、わたしはわたしが他者だったならばわたしのことがきらい。
結果的に親しくなったひとで、最初わたしのことをきらいだと思ったというひとがけっこう多く、なんなら夫も出会ったとき「なんヤこいつ、イキリすぎやろ」と不快に思ったとかたる。つまり、わたしを他者としたとき、わたしがわたしをきらいであるという点でわたしをきらいな人と共感できる部分があるわけである。そして、とても幸運なことにわたしはわたしなのでわたしのことがすき。だからわたしが他者である場合と比較して、この世界にきらい、きらわれるひとがひとりずつへっており、わたしはわたしが自分でよかったと心からおもう。
いっぽうで、最初からわたしのことがずっとうたがいなく好きというひとはちょっとこわい。
だから必死でわたしはわたしのきらいなわたしをさがす。
なんのうたがいもなく、「だいすき」と抱きついてくるむすめの、やわらかなにのうでをつかみながら「いつかわたしをきらいになってね」と祈ってしまう。