昨日、島田珠代さんが出演する、徹子の部屋について、視聴者の方々のSNSの投稿を見て思わずTVerで徹子の部屋を開いてしまった。なんでも珠代ねえさんのキャラに反し、その人生の壮絶さがすごいらしい。わたしが見た投稿の多くは珠代さん、すごい!みたいな反応だった。
話の内容としては
- たまよさんは思うように売れない中、結婚に救いを求め、2度の結婚を経験
- 2度目の結婚で子どもを授かるが、乳幼児のうちに夫が癌で余命宣告される
- 珠代さんは、大黒柱になると一念発起、名古屋から大阪に引っ越し、一家は珠代さんの母親と暮らすことに
- しかし、夫と母の折り合いがつかなかったり、珠代さん自身も抗がん剤の辛さを理解できず、大黒柱としての負担もあり喧嘩が増える
- 話し合いの末、離婚を決める
- むすめは余命短い夫のせめてもの生きがい、ということで泣く泣く親権を夫にわたす
- 夫は宣告させた余命より長く生きるがむすめが小6のときに他界
- およそ10年ぶりの母と娘の生活が始まるがなかなかうまくいかない
- むすめが爆発し、大げんかに
- それをきっかけに和解をし、今は関係が良好
というもの。
最後にむすめさんからの手紙もあり、それを見て思わず泣いてしまった。
が、頭の片隅で思ったのが、珠代さんの立ち位置にいる人が男性だったら、わたし、もっとモヤっていたかも……。というものだった。
癌になったのに抗がん剤のしんどさとかも調べないってどうなの?とか癌+乳幼児育児が畳み掛ける状況で義実家に住むってよっぽど関係がよくないと、なんならよくても、しんどくないか?とか、思ってしまったかもしれない。
モヤの差異の背景には、旧来的なジェンダー役割としての「おとうさん」≒大黒柱の部分を「おかあさん」である珠代さんが担っている、というのがあるだろうなと推察している。
そしてこれに近いものに育メンの育児・家事があるなと思っている。これまで役割としての「おかあさん」がやっていたことを「おとうさん」がやっていると、「おかあさん」が当たり前にやっていたことだとしてもなんかすごい、と思ったり、少しいたらなくてもしょうがない、と思ったり、思われたりしがちじゃないですか?
逆に、育児にまつわるあらゆる物事が「おかあさん」フィットしすぎて肩身が狭い、というのは、大黒柱にまつわるあらゆる物事が「おとうさん」フィットしすぎて肩身が狭い、ということでもあるし。
ゆるふわ左翼の自分は、割とフラットに物事を見ようとしているが、感情面でわりと旧来的なジェンダー感覚を踏襲しているんだなーと思って、色々と考えてしまったのだった。
まあなんにせよ、語られる他者の人生なんて極々一部でしかないので、そんな断片をみてモヤるということ自体が烏滸がましいんだけどね。