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『母親になって後悔してる』を本棚に置けない。

『母親になって後悔してる』をKindleで買った。

表紙を見たときにいい装丁だ、と思った。物理で欲しいな、とも考えた。けれど、その本が本棚に並んでいて、いつかむすめが何かを求めてわたしの本棚をのぞくとき、それを見つけたとき、彼女はいったいどう思うんだろう、と考えてしまった。そのときわたしは、彼女にこう伝えるだろう。

「わたしはあなたを十分に愛していて、はっきりいってあなたを産んだことを後悔をしたことは一瞬たりともない。その上で知っておくべきことだと思ったからこの本を買って、読んだんだよ」

結局、わたしはその書籍を物理的に買うことはできなかった。

本を通して読むと、わたしのその行動や、一瞬でよぎったさまざまな言い訳こそが「母親になって後悔してる」という感情を、忌避するべきものとして取り扱い、抑圧しているのだ、と思った。

『母親になって後悔してる』は、「母親になって後悔している」女性たちのインタビューにより構成されている。この本に出てくる母親たちは、貧困や人間関係の軋轢に悩み、思うようにいかない育児や自分の人生を経て、母親になったことを後悔をしている場合もあるし、生活に困ることなく、自己実現もできていて、なんならいい母親として子どもたちに対峙しながらも母親であることを後悔している場合もある。

富めるものも貧するものも、愛情深い母親も毒親と呼ばれるだろう母親も、それぞれ状況も立場も違えど、「母親になった後悔」を抱えているというのだ。

「人を新たに生み出すこと」を否定すること、は近年「反出生主義」と呼ばれ広く知られるようになっている。それはつまり、出産否定にせよ、自分自身や人類自体の誕生否定にせよ、反出生的な考えを持つ人が一定数いるということを意味している。そうした中で母親の中にも出産否定を感じる人がいることは決して想像に難くない。

そして、インタビューを読むと「そもそも生みたくなかった」とはじめから思っている人だけでなく、生んでみてはじめて後悔を感じ、「こんなはずじゃなかった」と思っている人が多数いることがよくわかる。

人生のさまざまな選択において「こんなはずじゃなかった」と感じることや、やってみてはじめて自分の不適性や全く別の指向に気づくことは、多かれ少なかれ誰にでもあることだと思う。

しかし、それがこと「出産」となると話は一気に複雑になる。

子どもは無垢で美しく、絶対的に不可逆な存在だ。その存在を否定することが誰にできるだろうか。

実際、この本に出てくる多くの母親たちも「母親になって後悔してる」ことは決して我が子の存在否定とは結びついていない。我が子は素晴らしく、美しく、愛おしいのだ、と語っている。その上で子どもの存在とは独立に、消化することのできない「後悔」を抱えているのだ。しかし、「母親になったこと」への後悔は多くの場合、「子ども」という他者の存在否定に結びついて解釈されてしまう。

そして、その密接な結びつきの可能性を当事者である母親自身も内在化してしまっている。その結果、「母親になったこと」への後悔は共有不能な苦しみ、そして自分自身でも納得することのできない痛みとしてずっと燻り続ける。

この本はただ、「母親になって後悔してる」という話をしているだけの本だ。

同時に、「母親になって後悔してる」という話をする、ただそれだけのことの途方のなさを表している本でもある。