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感動すると噂の『ドラえもん』の新作映画に別の意味で鬼泣いた

小学5年生の頃、さかあがりができなくて、さかあがりしたいという欲望はなかったけれど、周りを見るとなんだかできないまんまじゃダメな気がして、練習をはじめた。

わたしの小学校では「さかあがりができない人」はさかあがりの補助板のようなものがある鉄棒で練習をする、という雰囲気があって、「できない人」たるわたしもそこで練習をすることにした。

3回ほど板を蹴っていると突如ぐるんっと世界がまわった。
あっけなく、わたしはさかあがりしていた。

***

ドラえもん50周年記念となる映画『ドラえもん のび太の新恐竜』はのび太のさかあがりと新恐竜の飛行の秘密をめぐる物語である。

公開直後からちまたでは「泣ける」映画として話題を呼んでいる(ちなみにドラえもんの映画で泣くことは「ドラ泣き」と呼ばれている)。
わたしの3歳のむすめもドラえもんが好きで、映画館に行くたびに『ドラえもん のび太の新恐竜』のポスターを指で指していたため、満を辞して映画館に足を運んだのが先日のことである。

そしてわたしも思いがけず、「ドラ泣き」を体験することになる。

あらすじとわたしの「ドラ泣き」

今回のドラえもんは漫画などを原案としない完全オリジナル作品である。しかし、タイトルからもわかる通り映画第1作である『のび太の恐竜』と第26作の『のび太の恐竜2006』の系譜にある。
その上で、作品の流れとわたしの「ドラ泣き」ポイントを紹介する。

以下、ネタバレ注意。

大恐竜博で恐竜に「目覚めた」のび太ジャイアンスネ夫に「恐竜を見つける」と啖呵を切って博物館に設置された仮設の採石場から恐竜の卵の化石を持ち帰る。

帰宅後、ドラえもんに泣きついたのび太ドラえもんの反対を押し切りタイムふろしきで卵を包み化石を卵に戻そうと試みるが、数千万年単位の逆行はなかなか終わらない。

結局その日に卵に戻ることはなく、卵化石に気を取られ夜更かしをしたのび太は翌日学校に遅刻をし、先生に怒鳴られ廊下に立たされる。さらに逆上がりに失敗してクラスメートやジャイアンスネ夫に嘲笑される。
「逆上がりなんてできなくたって生きていける!」

そして、家に帰ったのび太がタイムふろしきを抱いて布団に入ると深夜、卵がタイムふろしきの中で孵りはじめる。

た、タイムふろしきの中で!?

ドラ泣きポイントその1
・タイムふろしきの青色のほうを内側にして包んだものは止まることなく時間を逆行する。したがって「あたためて孵る」=「時間的に進行する」ことはありえないという認識でいました……(帰宅後『のび太の恐竜』と『のび太の恐竜2006』を確認したところ両作ではタイムふろしきを解いて出てきた卵をあたためることで恐竜を孵化させてることが確認できた)
・今作には冒頭からビデオカメラが登場し、その後スマホも登場する。つまり舞台が現代であることが明示されている。しかし、なぜか教師はのび太をたびたび怒鳴り、のび太のテストの点数をクラスメートの前で大声で開示する。現実だったらクラスメートの誰かにその様子をスマホで撮影されてTwitterで告発されてるぞ!
www.google.com ・というか、失敗したら友達に嘲笑される描写つらくない?
・そもそも友達に啖呵をきったから、という理由で安易に動物を飼うな!

この時点でオイオイオイという感じで体の芯が冷えていくのを感じた。

わたしの体が冷えても物語は止まらない。

卵からは孵ったのは二匹の恐竜、ピンク色で背中にハートのマークがあるメスの「ミュー」とみどり色で背中にスペードのマークのあるオスの「キュー」である。タイムふろしきの逆行時間から算出すると後期白亜紀頃に生息していたらしい。

ミューとキューは羽毛を持ち滑空するタイプの恐竜でまだ誰にも発見されていない「新恐竜」であるという。成長につれミューはのび太の部屋の中をビュンビュン飛ぶようになる。一方のキューは餌も食べムラがあり、体や羽根が小さく尾も短い。そのためうまく滑空できない。のび太はそんなキューの姿に自分を重ねるようになる。

手はかかるがかわいいキューとのび太は度々共に寝るようになる。そうして、体が大きくなり、彼らが「元の時代」に帰そうという日の前夜ものび太は切ない表情でキューとともに眠る。

いや、ミューは?

ドラ泣きポイントその2
・そもそもメスの恐竜ピンクでハートマークって人間中心主義がすぎない?ここ100年程度の価値観を6600万年前の生物に当てはめないでほしかった
・というかミューの存在意義ってなんですか?キューのさまざまな「できなさ」の引き立て役としてしか扱われない優等生役を無自覚にピンクとハートでデコレーションされたメスに担わせるの、結構やばいと思います
・もっというとメス=女の子にはピンクという規範自体に疑義が唱えられている昨今、なんのてらいもなくこのキャラデザを採用できるその感性がこわいよ………
・しずかちゃんの入浴シーンいい加減やめた方が良いのでは?

女の子は本当にピンクが好きなのか

女の子は本当にピンクが好きなのか

いよいよタイムスリップの時がくるが、のび太のミスで一行はジュラ紀に行ってしまうなど前途多難。なんとか無事後期白亜紀に到達するが、新恐竜の生息地は不明のため探索をはじめる。のび太たちの背後には怪しい影が。

紆余曲折ありながらも新恐竜の「楽園」を見つけミューは仲間のもとへ駆け寄り快く受け入れてもらえる。そして、キューも同じように仲間に入ろうとするがなんと新恐竜のリーダーのような存在にぶん殴られる。それを見たのび太はキューが仲間に入れてもらえないのは飛べないせいであると悟り、キューに飛行の猛特訓をはじめる。
「空を飛べなきゃ仲間に入れてもらえないよ!」「みんなはそんな風に羽をバタバタさせてないよ」

のび太、お前もそっち側なのかよ!!!!

ドラ泣きポイントその3
・さかあがりもできないし、テストでも3点をとるのび太はしかし、「さかあがりができなくても困らない」と知っているし、普段0点ばかりの自分が3点を取れたことを喜べる。そのままの自分を肯定して受け入れられる力を持っていたのに、なぜ明らかに生まれ持った形質によって飛べないキューを受け入れないの?
・キューとミューを含む新恐竜について人間の言葉に併せて表情を変えたり、空を飛べなくて泣いたり、と過剰な擬人化演出が目立つ中、明らかに形質が違う存在(キュー)を殴りつけるという形で集団から疎外し、さらにそれをキューが「空を飛べないせいだ」と理由付ける描写を子どもを対象にした作品で見るのはつらかった

キューは結局のび太との特訓を経ても「滑空」することはなかった。そんな中、空に一筋の光が走る。恐竜絶滅につながる隕石の衝突である。やっと仲間のもとに戻れたキューとミューを待ち受ける死を受け入れられないのび太は、ドラえもんに絶滅を止めてもらおうとする。そこにのび太たちをずっと監視していた時空パトロールが登場、時空犯罪者としてのび太を捕らえようとする。

しかし、そこで時空パトロールの隊員の一人が、のび太とキューが正しい歴史のキーマンなのではないかと指摘する。解放されたのび太ドラえもんの道具で天候操作も可能な巨大ジオラマの中に出来るかぎる多くの恐竜を集めようとする。隕石に伴う熱風が迫る中、のび太ケツァルコアトルスに襲われて危機に瀕する。上空を滑空するケツァルコアトルスから滑り落ちそうなのび太を見てキューは「羽ばたく」。

そう、キューの体が小さかったのも、尾が短かったのも、羽ばたきができなかったのも、すべては鳥と同じように羽ばたいて空を飛ぶためだったのである。そんな彼らを見て時空パトロール隊員は叫ぶ。
彼らがいなかったら恐竜は鳥にならなかったんだ

ここで全俺が泣いた。進化ってもしかして気合でできるんですか?

ドラ泣きポイントその4
・進化は種全体でその変化が起こった時に発生するものです。特別な一匹、を演出するために進化を誤用されていつらい、、、
・そもそも、キューの体は生まれ持ったもので「のび太のおかげ」で飛行を獲得したわけではないのでは……?
・巨大ジオラマにとにかく恐竜をいっぱい移動させているけど小さい島にそんなに詰め込んだら維持できるのだろうか……。
・なお、恐竜の種名などはかなり正確を期そうとしている感じはあったのでおそらく恐竜の分類学の専門家の監修は受けているが進化生物学や生態学の専門家の意見は聞いていなかったのではないかと予想している

劇中でミスターチルドレンはこう歌っていた。「歴史なんかを学ぶより解き明かさなくちゃ」。

その歌を聞いて、切実に、歴史を学んでくれと願った。

そんなわたしの気持ちをおいて、映画のラストはいつものごとく大団円で終わった。

多くの人にとって些末なわたしの切実

繰り返しになるが、映画を通して、原作への目配せの不足や旧来的な価値観に従った描写、形質の違うものが当たり前に集団から疎外される暴力性、さらには学術的な成果への軽視が各所に見受けられ、わたしはこの映画を楽しむことはできなかった。もっと言えば、22世紀からやってきたはずのドラえもんが、前時代的な価値観を内在化したままで、図鑑など子どもたちの目につきやすい場所にありつづけることは正しいのだろうかとまで思った。

しかし、Twitterなどで他の視聴者の意見を調べてたところ、称賛の声が多く、ググってみても「96%のユーザーが高く評価しました」(2020年8月19日時点)という文字列に行き着くのできっと多くの人にとってはこれらは気にするまでもない些末なことなのだろうと意気消沈した。

それでもわたしは、女の子だからピンクをあてがわれることが、教師が生徒を怒鳴りつけることが、「できない人」が「できない」を理由に集団から疎外されることが、人々が積み重ねてきた歴史が軽視されることが「当たり前」だと、「気にするまでもない些末なこと」だと思われ続ける社会の中で生きるのは絶対にいや。いやなのだ。

***

補助板を使ったさかあがりに成功したわたしは、世界がまわる楽しさに魅入られて昼休みに補助板のある鉄棒に駆けていってはまわった。

しかし、補助板に慣れすぎたせいか補助なしでさかあがりに成功することはついぞなかった。

それから小学校を卒業してから今日まで、わたしはさかあがりのことなんてほとんど気にしないまま生きてきた。

だから、本当はそんなことできなくても全然大丈夫なのだ。

さかあがりができないわたしは今日も元気に生きています!ありがとう世界!