祖父の死に伴い遺品として絵を一枚もらった。
祖父が遺した絵のほとんどは、1人の女性の肖像画で、全員少しこわい顔をしていた。
葬儀の日にすら最後の不倫相手が参列していたという徹底した好色漢だった祖父は、きっとたくさんの女の、こういう顔を見てきたんだろう、と想像するとなんだか笑えた。そんな絵の中から、わたしは、北見隆(小中学生の頃、熱狂していた恩田陸の「理瀬シリーズ」の装丁を手がけていたイラストレーター)作品を彷彿とさせる絵を選んで、そっと車に乗せた。
車の中で母は祖父が遺した絵や陶芸品について
「おじいちゃんはお金ある時にいらんもんばっかり買って」
と切り捨てたが、わたしはおじいちゃんが遺したものが絵でよかった、と思った。
慌ただしい年末年始が過ぎ、会社における年度末を迎え、無事に昇給を果たしたわたしは、早速気が大きくなった。
とはいえ、世はパンデミック時代。外に出るでもないので、旅行や装飾品への欲望はくすぐられない。考えあぐねていたときに、かねてより気になっていたイラストレーターの杉野ギーノスさんの個展が京都で行われることを知った。
(杉野さんが手がけた『サハリン島』という小説の装丁、見かけも中身も最高です)
これは天啓である、と、初日の開場から30分後にいくとほとんどの絵が売り切れており、かなり悲しい気持ちになったが、むすめがこれだ!と指差した作品がたまたま売れておらず楽天カードを握りしめて、はじめて自分で絵を買った。
さらにその1週間後には、友人でありペインターのYANKEECONGがこれまた近くで個展をする、と聞き、その上しばらく展示に参加しないことも表明していた。これは行かねばなるめぇ、と勇んで展示に向かった。
そして今日、YANKEECONGの絵を受け取った。帰り、ママチャリで昔は山だった坂道を駆け抜けながら見えた月が綺麗で、
「つき、めっさきれいやでぇえ」
とむすめに向かって叫んだら、むすめは爆睡していた。
そのとき、これらの絵は、いつかのむすめには無価値に思えるかもしれない、と思いながら、それでも、共犯のように誰かが笑ってくれるようにと祈った。