♡rariwow.info♡

らりをのブログです

🐼 R A R I W O . B L O G 💕
📶🔈🔔

rariwo.blog

ディグらないわたしも、受け取るスキル、磨きてえ--Zoomgals「生きてるだけで状態異常」、北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』

最近日記をつけていて、それを眺めているとわたしの生活、まじ凡でびびる。

夫、むすめ、保育園、仕事、映画、友達、家、家事、本、繰り返される諸行無常

なんかちょっと前まで凡、いやだいやだ、という感じで何かになりたい感覚はあったけど、普通に幸せでそういう野心、どんどん少なくなる。凡サイコー!

でも、それでもわたしの中にはまだムラムラくすぶる野心はあるわけで、いまそれを言語化するなら「市井の、よい観客でいたい」みたいになるのだろう。

というか、まだまだよい観客になれてる感じはなく、よい観客になりたい、なりたいのだ。

よい観客ってなんだ?

SNSを見てると、「興味ないツッコミ」みたいなものを頻繁に目にしてつらい。

本、映画、楽曲、イラスト、漫画。そこからなんも受け取る気ないけどツッコミはいれたい、みたいな意見は、その軽さからよよい、と広がりながら、結局つくった人々の心を削り取る。そしてその削り取られた心までが可視化されて「観客」のわたしも消耗する。

さらにいえば、自分の意見が「うまく受け取れないけどツッコミはいれたい」みたいな範疇をでてない気がしてなんか、萎縮。

そんな中、「興味ないツッコミ」に阻害される生に疑義を表する楽曲「生きてるだけで状態異常」でZoomgalsはこう歌う。

www.youtube.com

受け取る側にスキルねんじゃね?
Zoomgals「生きてるだけで状態異常」

そのとおりである。

そう、わたしは「受け取るスキル」がほしいのである。そして、わたしがおもう「受け取るスキル」とは「コンテンツをきちんと批評する能力」なのだ。

すると続いてこうなる。

批評ってなんだーーーー

もちろん、わたしひとりではわからない。

そこでわたしがたよったのが、北村紗江による『お砂糖とスパイスと爆発的な何か: 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』だった。

「不真面目な批評家」を自称する著者にとって、批評が日常的な営みであるらしい、というのは以下の文章から読み取れる。

  私は一年に百本くらい映画を映画館で見て、かつ百本くらい舞台も劇場で見ます。その全部について簡単な批評を書いて自分のブログにアップしています。また、一年に二六〇冊くらい本を読みます。
北村紗江『お砂糖とスパイスと爆発的な何か: 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』

そして、今作では「フェミニスト批評とはなんぞや?」という疑問が平易な言葉で解きほぐされていく。

入門の入門となる「まえがき」で著者は、「批評はテクストを丹念に読むこと」からはじまり、そのためには「テクストを読む一般的な戦闘力」が必要だとかたる。

さらに、戦闘力は批評対象になる作品に関連するまとまったコンテンツをテクストとして読んでいくことで身につく、のだという。

要するにこれは「とりまディグれ」、ということだ。

なんとなくさらーっと読めてしまう箇所だが、実はここが一番むずかしいのではないか、と感じるんである。
 

なぜとりまディグはむずいのか?

ぬぼーーと生きとると、わたし、ディグらんでも全然いろんな作品に出会えてしまうのだ。
 
Amazonはちょいちょいおすすめの本、メールしてくるし、TwitterでぼけーとTL眺めてるといい感じの本、映画、演劇、音楽が流れてくる。

一方で外からやってくるものがわたしが今もとめる流れのなかに収まるということはなかなかないわけで、しかし心の琴線には触れちゃうので気持ち、持っていかれる。

わたしの表層の興味関心+流行からなるやってくるものをつなげるのと、テクストからテクストへ手探りで関連性を見いだしながらディグるのはよく似ていて全然ちがうのではないか、とおもう。

しかし、わたしは開き直る

わたしはNetflixのアラートが鳴るとついチェックしちゃうし、Amazonからおすすめの本のメールくると開いちゃうし、友達が薦めてた演劇を観にいっちゃう。

ディグらないわけである。だから開きなおる。やってくるものを繋げちゃおうとおもう。それでつく戦闘力は、ディグの戦闘力とちょっと違うかも、とおもうけど、開きなおったのでもう考えません。

開き直ったからとて、

『お砂糖とスパイスと爆発的な何か: 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』は非常に刺激的でおもしろい本であることは変わらない。

さまざまな切り口でさまざまなコンテンツについてフェミニスト批評がなされる様は見ていてワクワクする。ちょっと真似してみたいとおもう。

とくにお気に入りの箇所は以下。

ウルフのような偉大なフェミニストの心にも家庭の天使が住んでいたのですから〜中略〜、我々のような凡フェミの心に抑圧が住んでいるのは当たり前です。

こういうしびれるパンチライン、書いてみたい。そしてこの本で紹介されていた『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』も読了後に観はじめた。あ、ディグに誘われた!

こんなふうにときおり誘われディグをしつつ、やってくるものを読む、見る、聞く、そんで批評を書いてみる、とりあえずこれでやっていこうと思う。

磨くぜ、「受け取るスキル」❣️
なるぜ、「市井の、よい観客」❣️