探偵ナイトスクープの、そっくりな2人がお互いを生き別れた双子の片割れだと信じているが、本当に双子なのか?を検証する回を見ていたときのこと。
結末からいうと2人はDNA鑑定の結果一卵性双生児であることがわかったのだが、わたしは2人が双子であることを示すDNA鑑定書に記載された別の一文が気になってしまった。
同一人紙において無作為に選んだ個人のDNA型と地人のDNA型が偶然一致する割合は211𥝱4124垓7020京9640兆人に1人と算出されることから、理論上、同一のDNA型を特つ他人は地球上に存在しないといえる。
211𥝱4124垓7020京9640兆とは、ものすごい数字である。しかし、ふと、ものすごい数字であるとしても、無限の前にはささいなことではないのだろうか、と思ったのだ。
猿が無限回、タイプライターを叩き続ければ、その中にはシェイクスピアの戯曲はもちろん、転スラも、ねじまき鳥クロニクルも、インターネットの片隅で誰にも読まれず漂う文章も全てが含まれる。
つまり、宇宙はユニバースではなくマルチバースで、 世界は無限の広がりがあり、そこには存在しうるすべての配列が繰り返し含まれるとしたら、わたしは世界の時空間のどこかで無限回生きて、無限回同じ失敗を繰り返し、無限回、全く別の人生を送っているのである。
そんなことを最近ずっとうっすら考えていた。
そんな中、今日、モチとラーメンを食べていたとき、ふと天国の話になった。
話の発端は、集団登校に遅刻したらテレビ禁止、という我が家のルールだった。ラーメンを食べながら「そういえば、今日は集団登校に間に合ったの?」とモチに聞くと、「まにあう時間にいったけど、みんな先に行っていた」という。たしかに、モチが所属する集団は、予定時刻より早く出ることが多いので一瞬納得しかけたが、 今朝は夫にモチを任せていたため、実情をつかめていないと思い直し「じゃあモチが言ったとおりか、お父さんに確認するね」というと、モチの口がみるみるへの字に曲がる。これは嘘だな、と思ったので「ウソでしょ?」と軽く聞くとモチは小さく頷いた。
そこで、モチに「ウソをつくなら、もっとスマートに、ホントらしいウソをつかないと人はだませないよ!」というと「だってぼく、ウソつけないもん!」などというので、「そんなことはない、これまでウソをつこうとして今日みたいにバレたこと何度かあったやん」と返す。すると、それはお母さんがいつもばれないウソをつけというからだ!と反論された。さらにモチが「ぼくはウソをつきたくない、ウソをつくと天国に行けないもん」と言い出したので、思わず「天国なんかないよ!お母さんは天国なんかより、無限を信じてるよ!」と返した。
そしてはじめて、わたしはわたしが無限を信じていることを知ったのだ。
そのことに気づいたが最後、頭の中を無限が駆けめぐる。
もし世界が無限に存在するならば、わたしは無限回夫と出会って、無限回モチを産む。無限回モチの成長を見届け、無限回、何らかの理由で成長を見届けられない。わたしとモチは無限回一緒に過ごして、その中で世界中のあらゆるところに行く。スキーとか、高級ホテルに行くとか、ぷるぷるのパンケーキをつくるとか、モチがやりたいと言っていたのに、できていないまま過ごしてきてしまったもの全てを無限回一緒にやることができる。あるいはモチがやってほしくないことをわたしは無限回モチにやってしまう。
きっと今のわたしがわたしとして、モチと一緒にできることはほんのわずかしかないけれど、 何千、何百𥝱(もしかしたらもっと大きい数字かも)に1とかの確率でわたしと全く同じ遺伝子の人間とモチと全く同じ遺伝子の人間は出会うことができて、出会うたびになんでもできるのだ。
モチと手を繋いで帰りながら、わたしたちの間にある無限回の可能性を考えたら、やっぱり天国なんて信じるより、そっちの方が何倍も何千倍もいいじゃん、とか思えてくる。
そんなこと言ったって、今のわたしとモチは無限のうちの一回を試すしかなくて、それは、いばらの道かもしれないけどサ、と思いながらモチの手をぎゅっとした。