破壊的に仕事。細かいことがやってもやっても出てきてはこぼれ落ちる。
その合間に子どもが友だちと帰ってきた。子ども二人がささやきながら宿題をしている姿がかわいい。二人は宿題が終わったらいそいそと荷物を詰めて習い事に向かった。いってらっしゃいはいえなかった。
ちょうど仕事のすきまがあり習い事のお迎えに行く。別れ道でも子どもたちは離れ難いようで、今度お泊まりをしよう、と約束をして場を納める。
何かのプッシュ通知でトランプ当選の報を見る。やはりアメリカは加速主義的な幻想に囚われているのだなと思う。資本主義を加速させた先にある破壊と新たな人間。それも結局資本をたらふく持つ人間たちが持つオプションにしかならないだろうに。
そういえば昨日の夜、唐突に自分が江國香織の作品の恋愛観にしばられていることに気づいた。恋こそが関係をつなぐもので真実で、それがないのなら血も戸籍も無意味。一方で江國香織は平塚らいてう的な価値観で、わたしのは与謝野晶子的(辻ちゃん的ともいう)だけど、それにしてもそこを貫けるほど確固なものではないから子どもは一人。うーん、情けないかも。
仕事が終わった時には家族はご飯を食べ終えていて、コンビニにご飯を買いに行く。風呂も入り、あとは寝るだけ、な子どももついてくる。九九の9の段を暗唱しながら歩く。
寒いから、とわたしの手袋をつけてきた子どもはわたしの手をさすりながら「おかあさんの手がゆきみたいにかんじる」というのでこう答えた。
「そう、わたしが白雪。スノウ、ホワイト」
は?
風呂に浸かり髙畠が楽しそうに歌う動画を見て浮遊する気持ちになる。